コピー機が壊れた以上に壊れた接客を受けた。
3月3日。それは女の子の節句。
うちの娘にお祝いがてら何か食べたいものはない?と聞いたら「麺」との返答。
「ラーメン、ちゃんぽん、うどん、そばならどれがいい?」
「ラーメン」
よし。それなら食べログの佐世保ラーメンランキングナンバーワンの「○龍」に行こう!というウキウキするような会話から一日が始まった。
○龍の食べログは ↓
https://tabelog.com/nagasaki/A4202/A420201/42001217/
※2017年3月3日時点で、佐世保ラーメンランキングが姉妹店の「砦」に抜かされて2位になっていました。
役所関係の手続きが終わった後、お世話になっている先生の所を訪ねて色々と話をした際に、コピーが必要な書類があるものの、丁度、コピーの修理を業者が行なっており、どうしても出来ない状況に陥った。
業者に対応方法を聞くと、本社が徒歩5分のところにあるので、そちらまでデータを持参してもらえればコピーしますよ、という答えで、なにやら本社の人と電話で調整をしていた。
という訳で、春の陽気を感じながら私は先生と一緒に修理業者の本店へ。
受付は20代と見られる女性社員が2人。
「どうなさいましたか?」と言われたので、先生は「このデータをコピーしていただきたいのですが」
受付の女性は「はあ。」と気の無い返事で首を傾けながら、しょうがなくコピーする。
ちぐはぐな冷めた空気の中待つこと10分程度。コピーが完成した。
先生は「お金はお支払いした方がいいですか?」と聞くと、受付した店員は「う~ん。」と考えた結果、わからないのか「結構です」と答えた。
先生が最後に「当社でコピー機を修理していただいている間、コピーが出来ない状況だったので、対応方法を聞いたら、こちらの本社に行けばコピーをしてくれるということで、調整をして来たのですが、お聞きになられていますか?」と聞くと、
「あ、電話なら隣の者がしていたので私は知りません」という返答。
僕はすかさず、ずっと隣でやり取りを聞いていたであろう、もう一人の女子を見た。
すると。
「ウィッス」(あごを前に出すしぐさ)
そこで僕らはコピーをするというミッションを終了し、ビジネスに戻るのだった。
これって、意外と世の中で多いですよね。そういう接客を一度でもしたら信頼はガタ落ちになります。なので、もっとしっかりしようよ~!と言っても、所詮は他社で他人ですから変えようがありません。
なので、当社はそのような方々を反面教師として、同じような過ちは決してすることが無いように気をつけたいと思っています。
ウィッスってなんだよ。
あなたがいなくても回るシステムを作るためにあなたはいる
僕は25歳くらいの時に成功するにはどうすればいいのか自分なりに勉強した。
速読、セルフコントロール、瞑想、ヨガ、成功哲学、マーケティング。
なぜ勉強したのかというと理由はわからないと言いたいのだが、正直な所、現状に満足していなかったからだと思う。
その中で、特に覚えているのが「自分がいなくても回るシステムを作ることがリーダーの本当の役割だ!」ということだ。
その考えに初めて出会ったとき、僕はとても強くざらりと残る違和感を感じて数日間考えさせられた。
自分がいなくなっていいのなら、自分の価値がなくなるんじゃないか?
そういう風に思っていたが、一つの仕組みを完成させることができたら、その次の高み、すなわち新しい仕事を自動で回るシステムを作り、さらに効率化させてどんどん新たなものを作り上げていく。
どんどんクリエイト。どんどん効率化。
そういう考えが脳に芽生えだした瞬間から見える景色が変わった。
僕の周りにあるほとんどの物事は、基本的な思いつきのようなマニュアルはあるものの、実践的かつ効率性を最大限に高めたマニュアルは無かった。
今思えば、その当時あるマニュアルを定期的に年2回くらいバージョンを上げていけば3年くらいで完成するかと思うのだが、介護業界には、そこまで考える事がどちらかといえば悪徳と見られる風習があるのかもしれない。
目の前にある介護業務が最優先。その気持ちはわかるが、仕組み自体を最適化することこそが、利用者へ最高のサービスを提供できることに繋がるんじゃないかと思い、それからずっと僕は、僕なりに学び、仕組みを最効率化している。
そのシステムを公開してシェアする場合もあれば、疎まれるので、人数限定で共有してトライ&エラーを繰り返して良いノウハウを確立してきたと思う。
そうそう、ケアマネの試験に僕は1ヶ月の間、一日1~2時間くらいの勉強で合格したのだが、その勉強方法を体系化したものをこれまで10名ほど教えてきたが、彼らは遅くとも3年以内に合格している。
ちょっと話は逸れたが、あなたが目の前の業務にとてもやりがいを感じていて、常にその場にいたい!と自己重要感を感じているのなら、あえて、自分がいなくとも回る仕組みを作ることを考えることをおススメする。
きっと、作り終えたときに、新たなワクワクする道があなたの目の前に広がっているのだから。
悪意に走る人間の原因には2つあるらしい
悪意って向けられたことはありますか?
その質問について「いいえ」と答えられる人はとても少ないんじゃないかと思う。
僕は周りから見れば楽観的でどちらかといえば掴みにくい存在と言われている。そして頭がいいと追加して言われることが結構多い。
残念ながら僕は頭が良いわけではなく、福祉の知識と、ITの知識の2つを知っていて、それらを組み合わせているから、頭が良く見える訳であって、僕はこの2つの分野以外の物事については恐ろしいほど知らない。
まあ、それはそれで話を置いておいて、悪意について考えさせられる出来事が誰しも他人とのかかわりを一切切らない場合を除いて年に数回はあるんじゃないかと思う。
という訳で、今はテレビメディアへの出演が以前よりも少なくなっている江原啓之さんの「悪意/善意 たましいの素顔」に書かれていた、悪意に走る人間の2つの特徴についてお伝えしたいと思う。
悪意に走る人間は
1.弱さ:相手を羨ましいという気持ちを嫉妬という悪意に発展させてしまう
2.無知:羨ましいという気持ちを嫉妬ではなく向上心に変えられることを知らない無知
上記2つの原因があると書かれている。
これを見て「へぇ~」と思う人もいれば「むかつくものはむかつく」という人もいるだろう。
だが結果的に自分が行なった行動が返ってくるのが世の中。
自分の弱さや無知に立ち向かい、すがすがしく人生を生きていく事を選択することが大人のマナーだと思う。
提案書の書き方。これできないと社会人失格ですね。
自分の理想(ほとんどが社会常識上で正しいと思われていると自分が思っているもの)と現実が違う場合、あなたはどうしていますか?
例えば、接客業をしていたとして、業務が忙しいということで、客に挨拶をしなかったり、不機嫌な態度で接客をしている先輩がいるとする。
そんな彼に接客をされるお客様も迷惑だが、一緒に働く私達も同じような目で見られるし、何より職場の雰囲気が悪くなって困る。
そんな時に、あなたはどうしますか?
例えば、先輩もあなたも正社員だったとして、バイトの方の管理もしなければいけません。
この様な時には、提案書を書くことが一番だと思います。
残念な話ですが、私は福祉業界に長くいますが、提案書という形にして職場環境を改善させたい!という人間には会った事がほとんどありません。
何となく、不平不満(彼らの多くはニーズというが)を語り合う仲間を集め、陰湿に陰口を積み重ね、ますます職場環境が悪くなり、退職や配置転換といったところが多いのかな~と思います。
それんな不毛で非生産的なことをするくらいなら提案書として、現在の問題を明確にして具体的な解決策を示して、望まれる効果を文字にして書いて提案するほうがずっと良いと思いませんか?
<提案書の書き方>
1.問題点を書く
2.解決策を書く
3.解決策を実施した後に望まれる効果
はい。これだけです。
提案書を書くだけでも自分の頭の中がすっきりして、よい解決策が見つかったり、逆に自分自身の努力の足りなさを人に転化していたということもわかるようになります。
正直、これができないで不平不満を言っているのは社会人失格です。
あなたの思いを形にできる能力を手に入れる努力をしましょう。
地域包括支援センターの所長の肩書がなくなった結果
僕は32歳という比較的若い時期に地域包括支援センターの所長になった。
所長になった途端、これまで話をするときに足を組み腕を組み、上から目線で一方的に高圧的に話しかけていた人が、低頭平身になり、両手を「すりすり」する様に変貌するという奇跡を数件目撃した。
僕はそのように奇跡の変貌を遂げた彼(彼女)らを目撃し「人間は一瞬で変わる」という人間の現金さを学んだ。そして、僕はこのように、他人の目から見れば浅ましいと捉えられるような行為はしないようにしようと思った。
そして、僕は地域包括支援センターの所長を辞め、自分で事業を開始した。
そうすると、逆の行為をする人物が出てくるのかな、と思っていたが実際には1人位だった。それは僕が思っていたよりも少ない人物ではあったし、これまで関わってきた人たちは僕が思いもよらない言葉「応援しています」をかけてくれた。
その中でも、継続的に僕とかかわりを持ち、僕が事業を立ち上げた目的「再現性の高い地域づくりの教育コンテンツで日本の助け合い活動を加速させたい」に賛同し、背中を押してくれる方もいる。それは僕が思っているよりも実際は多いらしい。
そしてふと周りを見ると、未だに僕を信じて残ってくれている人というものは、僕の人生の宝だと思うし、何かあればできる限りの力になりたいと感じている。
肩書がなくなっても、仲間がいるというのは、それまでの関わり方が間違ってなかったのかな、と思う。
やっぱり、肩書よりも自分が世の中に何を提供し、仲間に何を提供できるのかという事が大切だと思う。
肩書にしがみついたり、執着したりしてはいけない。わかるかい?
僕は、この文章を君に伝えたいために書いているんだよ。自分に負けるなよ。
僕は昔ながらの助け合い社会を知らない
高齢者の支え手が減っている。
そんなのは皆さん知っていますよね?
2015年は65歳以上の高齢者1人を現役世代である
18~64歳の人口2.1人で支えていると言われています。
え、そんなことはわかっている?
まあまあ、そういわずに聞いてくださいよ。
では、そんなに支え手不足の社会を理解しているあなたは今後どうすればいいのか知っていますか?
国が何かしてくれる?お金が天から降ってくる?
どこからともなく若い支え手が応援に来てくれる?
そんな事起こるはずないですよね。
だからこそ、多様な支え手(メインは元気な高齢者世代)
が要支援レベルの高齢者の生活援助や居場所作りをして
介護保険の給付を抑制していこう!という流れになっているんです。
そこで、よく言われるのが
「昔ながらの助け合い社会を取り戻そう!」
という事ですね。
「私の子供の頃は隣の人におしょうゆを分けてもらっていた」
「ご飯の余り物などがあったらおすそ分けをしていた」
という話を聞きます。
そういう地域の絆ができれば、これから先の助け合い活動の創出が出来る可能性が高いと思うし、それ以外に道は残されていないことは火を見るよりも明らかです。
そこで、僕は現在36歳。
生まれた頃から核家族化が進展し、昔ながらの助け合い社会というものを正直な所、体験したことがない。
あるとすれば、回覧板を隣のおばちゃんに届けに行くくらい。あと、子ども会で年に2回くらい交流するくらい。
そんな僕が、昔ながらの助け合い活動を推進している。
正直な所、そんな桃源郷のような体験したことがない助け合い社会を再現させるべく学び、実践している。
今年に入って、依頼を受けて協議体の立ち上げと生活支援サポーター養成講座の内容を取り入れた養成講座を今年の1月から開催しています。
全7回の養成講座ですが、メンバーが自主的に活動をしたい!
という声が出てきて、本当に嬉しくなりました。
参加者から「私が若い頃は子供を背負いながら、地域のみんなと助け合い活動の為に話し合って活動をしていたものだ!懐かしい!」
という言葉を聞いたとき、奇跡が実現するかもしれない。
そう感じました。
但し、見える地域像や今あるサービス、無いサービス利用者及びボランティアの名簿やルールブックについては支援者側で書式を提供する必要があります。
地域住民に火が付いたのなら、消える前に形作る必要があります。
その為には、書式の土台を提案し、その土台を地域の実情によってカスタマイズさせることが、ロケットスタートを切る方法となります。
支援者側は、それくらいの労力を惜しんではいけないと思います。
え、その書式はどこで手に入れることが出来るんですか?
私自身色々と探しましたが、そこの実践的なテンプレートというものが無いのが現状ですね。
こういう具体的なものこそ、皆さん欲しいと思うのですが。。。
ぜひ、厚生労働省の方が見ていたら、成功事例だけではなく、実践的なテンプレートも
一般公開していただけますと幸いです。
私は持っているのでどうしてもという方はご相談ください。
実は、世の中は豊かになり続けているという真実
将来は高齢者が増えて支え手が減り、自分自身の年金ももらえない時代が来て、一億人下流社会になってしまう。
給料のベースアップはなくなり、社会保険料は上がり続け、税金も増え続ける。
暗い未来しか描けない。。。
昔の方が豊かだった。。。
とよく嘆く声を聞くのですが、世の中の富は増え続けているという事実を知らないのはなぜなのか?と疑問になる時があります。
日本は戦前・戦後の時代は今のように食料も豊富でなく、住んでいる家も現代よりボロボロで、家にはテレビも洗濯機も冷蔵庫も無かったわけですね。
また、平均寿命に関しても、戦後の1947年にやっと平均50歳を越えたくらいだったんですが、今は80歳を越え、しばらくすると90歳台になる未来が来ないことの方がありえないと思いませんか?
よく、今の人達は食品添加物にまみれた食事を摂っているから、どんどん平均寿命が下がっていくみたいな話を以前は良くされていましたが、残念ながら、人体はそれほどやわな訳ではないし、医療の進歩の方が追い抜いていますよね。
そう。戦後の日本が夢見た、不自由なく食べ物を得ることができる、自宅に生活を助けてくれる家電製品や車があり、寿命も大幅に伸びた。それが現在ですね。
そう考えると、何が今の世の中を暗くしているのかというと、これまで右肩上がりで成長することが、普通であったという、「年々良くなるのが普通」という常識からぬけだせずに、「年々横ばい、もしくはちょっと下がる」事に敏感になっているんだと思う。
今の世の中にあるメリットを考えれば、過去に戻りたいなんて思うのはやめて、今ある文明から得られる豊かさを享受し感謝することが、生きる上で大切なことになるのだと思う。