地域包括支援センターの所長の肩書がなくなった結果
僕は32歳という比較的若い時期に地域包括支援センターの所長になった。
所長になった途端、これまで話をするときに足を組み腕を組み、上から目線で一方的に高圧的に話しかけていた人が、低頭平身になり、両手を「すりすり」する様に変貌するという奇跡を数件目撃した。
僕はそのように奇跡の変貌を遂げた彼(彼女)らを目撃し「人間は一瞬で変わる」という人間の現金さを学んだ。そして、僕はこのように、他人の目から見れば浅ましいと捉えられるような行為はしないようにしようと思った。
そして、僕は地域包括支援センターの所長を辞め、自分で事業を開始した。
そうすると、逆の行為をする人物が出てくるのかな、と思っていたが実際には1人位だった。それは僕が思っていたよりも少ない人物ではあったし、これまで関わってきた人たちは僕が思いもよらない言葉「応援しています」をかけてくれた。
その中でも、継続的に僕とかかわりを持ち、僕が事業を立ち上げた目的「再現性の高い地域づくりの教育コンテンツで日本の助け合い活動を加速させたい」に賛同し、背中を押してくれる方もいる。それは僕が思っているよりも実際は多いらしい。
そしてふと周りを見ると、未だに僕を信じて残ってくれている人というものは、僕の人生の宝だと思うし、何かあればできる限りの力になりたいと感じている。
肩書がなくなっても、仲間がいるというのは、それまでの関わり方が間違ってなかったのかな、と思う。
やっぱり、肩書よりも自分が世の中に何を提供し、仲間に何を提供できるのかという事が大切だと思う。
肩書にしがみついたり、執着したりしてはいけない。わかるかい?
僕は、この文章を君に伝えたいために書いているんだよ。自分に負けるなよ。