エフォートケアシステム株式会社社長のブログ

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生活支援コーディネーターの動画解説

 生活支援コーディネーターという名前は良く聞くようになったかと思いますが、どのような目的や役割で設置されているのか理解している方は今現在、まだ少ないのが現状かな、と思っています。

 

 私にも生活支援コーディネーターになりたい!という方や、生活支援コーディネーターは一体何の仕事をすればいいの?という事がここ最近一番多い相談事かと感じています。

 

以上の点から、生活支援コーディネーターに関する動画解説を作成しました。

 

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短い動画ですが、要点をまとめて話しているので、見ていただければ全体像及び内容を理解することが出来るかと思います。

 

生活支援コーディネーターは今後の共生社会を作るトップランナーです。

 

そして、これから未来を創り上げる非常にやりがいのある仕事だと感じています。

ですが、この可能性に気付いている方は非常に少ないです。

 

もし、生活支援コーディネーターに魅力を感じている方がいれば、先見の明がある方だと思います。

 

さあ、未来を変えられるチャンスが到来しています。一歩踏み出そう。

正義の名のもとに戦ってよい相手とは?

 僕は正義という言葉を聞くと違和感といやな予感を感じる。

 

どうせその正義の先には、正義を大義名分にした戦いが待ち構えており、どちらかが多少なりに傷つく、もしくは両方とも何かしらのダメージを受けることが想定できるからだ。

 

正義の為に悪を正そうと戦う。その戦いは、暴力だけではない。現実世界では多くの場合、言葉の暴力いや、陰口という形をとる場合が多い。

 

その結果、正義の名のもと、陰口を言うグループを作り、悪をじりじりと追い詰め、排除する。ミッションコンプリート。

 

だが残念なことに、その正義というものは個人の主観によるものが多く、生活歴や生まれてきた年代、読んできた本、その時の常識などで大きく左右される。結果、よくよく考えてみれば、あの時の正義って間違えてたよね~。みたいに流される場合がある。よく使われるのは「あの時はまだ幼かったんだ」と。

 

 僕は自分の中に譲れない正義があったとしても、その正義の為に誰かを直接的にも間接的にも傷つけることは最も避けなければならない事だと思っている。そもそも、誰かを傷つけるための正義って、正義じゃないよね。

 

そう考えると、どんな正義なら戦えばよいのか?それは、個人や集団に対してではない。それが社会課題であったり、世の中の流れが悪しき方向に動いているという風潮だ。

 

罪を憎んで人を憎まず。ちょっと違うがそれに近い。

 

気をつけないと正義の名のもとに、悪行をしてしまう危険性があります。

 

あなたが正義を一番だと感じているようなら、あなたは誰かにとっての凶悪です。

熱いハート、そんな心があれば女の子は誰だってプリキュアになれるのよ

 僕には4歳になる娘がいる。

 

彼女は3歳になってからアンパンマンを卒業した。それを感じたときはGEOに行った時のことだ。「好きなDVD選んでいいよ」と僕が彼女にいつものように選択するという行為を促した時の事。

 

彼女はおもむろにプリキュアを指さし「これがいい」と言った。

 

僕は彼女がアンパンマンから一段階段を上っていることを感じた。

 

それから、彼女はプリキュアシリーズで、悪と戦うことを学んでいる。正直なところ、正義の為に戦うという構図には否定気味なのだがそれはそれでしょうがない。彼女には大切なものを守るためには戦わなければならないという一つの心理を学んでいるのだ。

 

僕も彼女がプリキュアを見ていると同時にプリキュアを見る時がある。そして、幼児向け、しかも女子をターゲットにしたものを僕は正直下にみていた。「子供だましか」

 

そんな子供だましと決めつけていたプリキュアにハッとさせられる言葉がテレビから流れ、それは鋭利な刃のように胸に刺さる言葉がたまにある。

 

子供だましの内容に、その言葉が胸に刺さるとは。。。

 

その中の言葉の一つに

「熱いハート、そんな心があれば女の子は誰だってプリキュアになれるのよ」

という言葉があった。

 

映画のスペシャル版で、プリキュアではない映画だけに出てくる新キャラが、プリキュアオールスターズが敵に打ちのめされて「もうだめか」という時にプリキュアに覚醒し、形成を大逆転した。

 

その時に、上記の言葉で人間の可能性を語ったのだ。

 

ふー。この文章を書いてて自分の陳腐さに呆れてしまうのだが、こんな単純なありきたりな、いわゆるセオリー通りの内容が心を打つことがある。それって真理だからか?

 

いやいや、僕が言いたかったのは、これを地域福祉に置き換えてみる、ということだ。

 

「熱いハート、そんな心があれば私たちは誰だって未来の支え手になれるのよ」

うん。まさしくその通りだ。

 

熱いハート。気持ちがあれば、前向きな社会の担い手になれる。

 

ふふ。プリキュアを見ながら、また地域福祉のことを考えている。さて、娘の未来の為に、今日は地域住民のハートをグツグツと煮立てる方法を構築しよう。

 

子供でもわかることなのに、大人になるとわからなくなることってありますね。ハイ。

協議体の役割など動画で解説!

 生活支援体制整備事業を行う上で、協議体メンバーとして招集される方が増えていると思います。

 

人によっては、「また変な会議に招集させられて同じような会議をしないといけない」と拒否感を示すメンバーも多いという声を聞きます。

そこで、なぜそのように参加者からネガティブな意見が出るのかというと、協議体の役割や目的などを明確にメンバーに説明できないことが理由だと思っています。

例えば、地域ケア会議はケースの困難化の解決方法及び、困難化の予防方法の確立となります。そのために、地域づくり・資源開発機能を発揮させて行く事が目的となります。

ですが、協議体は多様な支え手、特に住民主体の助け合い活動を推進していくことに特化した地域づくりを実現させていく事となります。

まず、その違いを理解して、メンバーに納得していただく必要があります。

 

なお、1層と2層の役割の違いがなんとなくしかわかっていない場合、仕事の押し付け合いなど、不毛な議論が起こる場合があります。

 

以上の点から、協議体の役割や目的・1層と2層の違いを、協議体メンバーの全員が理解することが最も大切になります。

 

ですが、自分で話をする自信がない・・・

という方の為に、動画解説を撮ったのでサイトにアップロードしました。

 

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参考にして頂けますと幸いです。

 

会議の際に動画をご自由にご活用ください。

アドラー的に特別になれなかった人

 嫌われる勇気でアドラー心理学がドラマで放送されて話題になっていますね。

 

私自身、ドラマは見ていませんが、知人からアドラー心理学について非常に心に刺さったようなことを以前聞いたのを思い出しました。

 

「成冨くん。人間って誰しもほとんどの人が特別になりたいと思っていると思う?」

「はあ。正直な所、成功イコール特別という訳ではなく、オンリーワンでありたいと思っているとは思いますけど」

 

「そうだね。もし、起業して金持ちになったり、テレビでスターになれた人はいいよね」

「まあ、成功できたという自信が、自分が特別になれた!という感じがすると思います。ですが、正直、本人はついていけてないと思いますけど」

 

「うんうん。わかるよ。それじゃあ逆に、特別になれなかった場合はどうなると思う?」

「えっ?自分は普通なんだ~と受け入れるんじゃないんですか?」

 

「実は、自分は普通だと受け入れられるのが一番いいんだよ」

「なんでですか?特別じゃないのに?」

 

「そう。自分は何も特別じゃなくて普通でいいのだと、自分を受け入れることができる。そして、自分以外の人にも包容力を持って接することができるようになるんだよ」

「へぇ~。特別な成功を手にしていなくても確かな自信を持っているんですね」

 

「次に、たちの悪いのがいる」

「なんなんですか?」

 

「特別になりきれず、普通になりきれなかった人だ」

「え、それってどうなるんですか?」

 

「未だに特別になりたいという自己愛があるにも関わらず、普通の結果、いや、普通の結果以下しか出せない人のことになる。本来なら普通の結果は出せるんだけど、周囲の目が気になり、仕事に集中できない、手先よりも周りへの聞き耳に力を入れて、結果が出ないような人になっていく」

「何だか悪循環って感じですね」

 

「そして、彼(彼女)らは気付く。それは、特別に「悪」になればいいのだと」

「え、それって、子供と同じ心理じゃないですか?かまって欲しいから悪い事をする、みたいな感じですよね」

 

「そうなんだよ。実は、今の社会ではこのような自己愛が強い人間が大勢いるんだ」

「へぇ~。けどこれは自分がそうなっていないように気をつけないといけないですよね。知らず知らずうちに、そんな恥さらしなことをする人生を送るって自分にとってもマイナスのことにしかなりませんよね」

 

「そう、だから、福祉の専門職として、このような心理を人が持つということも知っておくといいと思うよ」

「はい、肝に銘じます」

 

 こんな感じの話だったと思うが、一番心のフックに引っかかったのは

「特別に悪になろうとする」という部分だ。

 

 きっと自分自身では気付いていないと思うが、その分、そういう人達は圧倒的に悪であり、おそらく多く存在していると思う。

 

だが、人間がオセロのように裏表だけで割り切れるものではないのも事実。ある時は悪、あるときは善。もしくは以前は悪だが今は善。その逆もしかり。

 

もし、自分が特別であるという意識を強く持っていると感じたら、一度振り返る習慣を持つようにしよう

仕事優先で歳上でも呼び捨てでよび、侮辱しても許された時代

 僕は17歳の高校の頃の夏休み。

お弁当屋さんでバイトをしていた。

 

理由は特に何の考えもなしに、父親がお弁当屋のマネージャー職みたいなのをしていたので、将来的に自分も同じ仕事をしようかな、と浅はかな考えから「試しにバイトやってみっか!」くらいのノリで1ヶ月くらい働きました。

 

今考えると、メニューも50近くあるし、とても1ヶ月じゃ覚えられない訳。逆算したら、ちょっとだけ使い物になるくらいに止めていく本社の息子。みたいな感じかな。

 

そういう感じで僕は1ヶ月間、お弁当屋さんで働いた。

 

そこの店長が多分35歳くらいだったかな。当時。

 

普段はおとなしく、パートのおばちゃんがノロノロしていると、人が変わったように

「○○!ちゃんと目の前のことを!」みたいに呼びつけして人前で大声で怒る訳。

 

約20年前の話なんだけど、その当時もパワハラみたいな言葉はあった訳で、社会に出ていない僕は「あ、パワハラなんて終わった言葉だと思っていたけど、まだあるのが現実なんだ・・・・」と感じていた。

 

時には「おい成冨!早くしろ!!」「チッ!使い物になんねーな!」

 

みたいな事を言われたな~。なつかしい。

 

そうそう、私は九州限定発売かもしれないが、チキン南蛮にカレーを載せて食べる、いわゆる弁当やまかない食が大好きだった。それを見た店長は「そんな気持ち悪いもん良く食えるな」と言っていたが、若者にはおススメだ!

 

ちょっと話はそれたけど、「仕事」を建前にして、他人の尊厳を踏みにじるようなことが当たり前だったのが20年前。その頃は効率化といった「仕事優先」という大義名分があれば、年上だろうが呼び捨てでよび、時には侮辱しても許された訳。

 

だが今は、仕事優先よりも、人権優先になっている訳ですね。

 

35歳だった彼は55歳。

 

今頃は、どんな仕事をしているのかな。昔のことは忘れているのかな。

それとも当時と同じようなかかわりをしているのか。

 

あまりにも指導しにくくなった世の中になってしまってはいるが、人権を無視した仕事重視の世の中よりは、ちょっとはマシかな、と思う。

総合事業訪問介護A・B類型の考え方を作成しました。

 総合事業の訪問介護のA型は介護報酬がこれ以上下がれば、事業の継続が難しい。

 

B型と言っても、住民主体の助け合い活動なんて絵に書いた餅・・・

とネガティブになり考えることをはじめることすら止めようとしている状況でも、今後どうやっていけばよいのか「ヒント」を国は出していると思います。

 

もし、当面実施しても効果が無いとすれば、制度変更があるかと思いますが、私は訪問B類型の考え方が示すものを見て

「そうか!その方法ね!!」

と感じてくれる方がいれば、その地域は住民主体の助け合い活動が加速していく事と感じています。

 

ですが、なかなか、そのことを学ぶ機会が無い!という方の為に、サイトを更新しました。

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動画解説は↓

 

ぜひ、市町村担当者や介護保険サービス事業所のみだけでなく、地域の助け合い活動をしたい!もしくはしている方に参考にしていただけたらと思います。

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