提案書の書き方。これできないと社会人失格ですね。
自分の理想(ほとんどが社会常識上で正しいと思われていると自分が思っているもの)と現実が違う場合、あなたはどうしていますか?
例えば、接客業をしていたとして、業務が忙しいということで、客に挨拶をしなかったり、不機嫌な態度で接客をしている先輩がいるとする。
そんな彼に接客をされるお客様も迷惑だが、一緒に働く私達も同じような目で見られるし、何より職場の雰囲気が悪くなって困る。
そんな時に、あなたはどうしますか?
例えば、先輩もあなたも正社員だったとして、バイトの方の管理もしなければいけません。
この様な時には、提案書を書くことが一番だと思います。
残念な話ですが、私は福祉業界に長くいますが、提案書という形にして職場環境を改善させたい!という人間には会った事がほとんどありません。
何となく、不平不満(彼らの多くはニーズというが)を語り合う仲間を集め、陰湿に陰口を積み重ね、ますます職場環境が悪くなり、退職や配置転換といったところが多いのかな~と思います。
それんな不毛で非生産的なことをするくらいなら提案書として、現在の問題を明確にして具体的な解決策を示して、望まれる効果を文字にして書いて提案するほうがずっと良いと思いませんか?
<提案書の書き方>
1.問題点を書く
2.解決策を書く
3.解決策を実施した後に望まれる効果
はい。これだけです。
提案書を書くだけでも自分の頭の中がすっきりして、よい解決策が見つかったり、逆に自分自身の努力の足りなさを人に転化していたということもわかるようになります。
正直、これができないで不平不満を言っているのは社会人失格です。
あなたの思いを形にできる能力を手に入れる努力をしましょう。
地域包括支援センターの所長の肩書がなくなった結果
僕は32歳という比較的若い時期に地域包括支援センターの所長になった。
所長になった途端、これまで話をするときに足を組み腕を組み、上から目線で一方的に高圧的に話しかけていた人が、低頭平身になり、両手を「すりすり」する様に変貌するという奇跡を数件目撃した。
僕はそのように奇跡の変貌を遂げた彼(彼女)らを目撃し「人間は一瞬で変わる」という人間の現金さを学んだ。そして、僕はこのように、他人の目から見れば浅ましいと捉えられるような行為はしないようにしようと思った。
そして、僕は地域包括支援センターの所長を辞め、自分で事業を開始した。
そうすると、逆の行為をする人物が出てくるのかな、と思っていたが実際には1人位だった。それは僕が思っていたよりも少ない人物ではあったし、これまで関わってきた人たちは僕が思いもよらない言葉「応援しています」をかけてくれた。
その中でも、継続的に僕とかかわりを持ち、僕が事業を立ち上げた目的「再現性の高い地域づくりの教育コンテンツで日本の助け合い活動を加速させたい」に賛同し、背中を押してくれる方もいる。それは僕が思っているよりも実際は多いらしい。
そしてふと周りを見ると、未だに僕を信じて残ってくれている人というものは、僕の人生の宝だと思うし、何かあればできる限りの力になりたいと感じている。
肩書がなくなっても、仲間がいるというのは、それまでの関わり方が間違ってなかったのかな、と思う。
やっぱり、肩書よりも自分が世の中に何を提供し、仲間に何を提供できるのかという事が大切だと思う。
肩書にしがみついたり、執着したりしてはいけない。わかるかい?
僕は、この文章を君に伝えたいために書いているんだよ。自分に負けるなよ。
僕は昔ながらの助け合い社会を知らない
高齢者の支え手が減っている。
そんなのは皆さん知っていますよね?
2015年は65歳以上の高齢者1人を現役世代である
18~64歳の人口2.1人で支えていると言われています。
え、そんなことはわかっている?
まあまあ、そういわずに聞いてくださいよ。
では、そんなに支え手不足の社会を理解しているあなたは今後どうすればいいのか知っていますか?
国が何かしてくれる?お金が天から降ってくる?
どこからともなく若い支え手が応援に来てくれる?
そんな事起こるはずないですよね。
だからこそ、多様な支え手(メインは元気な高齢者世代)
が要支援レベルの高齢者の生活援助や居場所作りをして
介護保険の給付を抑制していこう!という流れになっているんです。
そこで、よく言われるのが
「昔ながらの助け合い社会を取り戻そう!」
という事ですね。
「私の子供の頃は隣の人におしょうゆを分けてもらっていた」
「ご飯の余り物などがあったらおすそ分けをしていた」
という話を聞きます。
そういう地域の絆ができれば、これから先の助け合い活動の創出が出来る可能性が高いと思うし、それ以外に道は残されていないことは火を見るよりも明らかです。
そこで、僕は現在36歳。
生まれた頃から核家族化が進展し、昔ながらの助け合い社会というものを正直な所、体験したことがない。
あるとすれば、回覧板を隣のおばちゃんに届けに行くくらい。あと、子ども会で年に2回くらい交流するくらい。
そんな僕が、昔ながらの助け合い活動を推進している。
正直な所、そんな桃源郷のような体験したことがない助け合い社会を再現させるべく学び、実践している。
今年に入って、依頼を受けて協議体の立ち上げと生活支援サポーター養成講座の内容を取り入れた養成講座を今年の1月から開催しています。
全7回の養成講座ですが、メンバーが自主的に活動をしたい!
という声が出てきて、本当に嬉しくなりました。
参加者から「私が若い頃は子供を背負いながら、地域のみんなと助け合い活動の為に話し合って活動をしていたものだ!懐かしい!」
という言葉を聞いたとき、奇跡が実現するかもしれない。
そう感じました。
但し、見える地域像や今あるサービス、無いサービス利用者及びボランティアの名簿やルールブックについては支援者側で書式を提供する必要があります。
地域住民に火が付いたのなら、消える前に形作る必要があります。
その為には、書式の土台を提案し、その土台を地域の実情によってカスタマイズさせることが、ロケットスタートを切る方法となります。
支援者側は、それくらいの労力を惜しんではいけないと思います。
え、その書式はどこで手に入れることが出来るんですか?
私自身色々と探しましたが、そこの実践的なテンプレートというものが無いのが現状ですね。
こういう具体的なものこそ、皆さん欲しいと思うのですが。。。
ぜひ、厚生労働省の方が見ていたら、成功事例だけではなく、実践的なテンプレートも
一般公開していただけますと幸いです。
私は持っているのでどうしてもという方はご相談ください。
実は、世の中は豊かになり続けているという真実
将来は高齢者が増えて支え手が減り、自分自身の年金ももらえない時代が来て、一億人下流社会になってしまう。
給料のベースアップはなくなり、社会保険料は上がり続け、税金も増え続ける。
暗い未来しか描けない。。。
昔の方が豊かだった。。。
とよく嘆く声を聞くのですが、世の中の富は増え続けているという事実を知らないのはなぜなのか?と疑問になる時があります。
日本は戦前・戦後の時代は今のように食料も豊富でなく、住んでいる家も現代よりボロボロで、家にはテレビも洗濯機も冷蔵庫も無かったわけですね。
また、平均寿命に関しても、戦後の1947年にやっと平均50歳を越えたくらいだったんですが、今は80歳を越え、しばらくすると90歳台になる未来が来ないことの方がありえないと思いませんか?
よく、今の人達は食品添加物にまみれた食事を摂っているから、どんどん平均寿命が下がっていくみたいな話を以前は良くされていましたが、残念ながら、人体はそれほどやわな訳ではないし、医療の進歩の方が追い抜いていますよね。
そう。戦後の日本が夢見た、不自由なく食べ物を得ることができる、自宅に生活を助けてくれる家電製品や車があり、寿命も大幅に伸びた。それが現在ですね。
そう考えると、何が今の世の中を暗くしているのかというと、これまで右肩上がりで成長することが、普通であったという、「年々良くなるのが普通」という常識からぬけだせずに、「年々横ばい、もしくはちょっと下がる」事に敏感になっているんだと思う。
今の世の中にあるメリットを考えれば、過去に戻りたいなんて思うのはやめて、今ある文明から得られる豊かさを享受し感謝することが、生きる上で大切なことになるのだと思う。
生活支援コーディネーターの動画解説
生活支援コーディネーターという名前は良く聞くようになったかと思いますが、どのような目的や役割で設置されているのか理解している方は今現在、まだ少ないのが現状かな、と思っています。
私にも生活支援コーディネーターになりたい!という方や、生活支援コーディネーターは一体何の仕事をすればいいの?という事がここ最近一番多い相談事かと感じています。
以上の点から、生活支援コーディネーターに関する動画解説を作成しました。
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短い動画ですが、要点をまとめて話しているので、見ていただければ全体像及び内容を理解することが出来るかと思います。
生活支援コーディネーターは今後の共生社会を作るトップランナーです。
そして、これから未来を創り上げる非常にやりがいのある仕事だと感じています。
ですが、この可能性に気付いている方は非常に少ないです。
もし、生活支援コーディネーターに魅力を感じている方がいれば、先見の明がある方だと思います。
さあ、未来を変えられるチャンスが到来しています。一歩踏み出そう。
正義の名のもとに戦ってよい相手とは?
僕は正義という言葉を聞くと違和感といやな予感を感じる。
どうせその正義の先には、正義を大義名分にした戦いが待ち構えており、どちらかが多少なりに傷つく、もしくは両方とも何かしらのダメージを受けることが想定できるからだ。
正義の為に悪を正そうと戦う。その戦いは、暴力だけではない。現実世界では多くの場合、言葉の暴力いや、陰口という形をとる場合が多い。
その結果、正義の名のもと、陰口を言うグループを作り、悪をじりじりと追い詰め、排除する。ミッションコンプリート。
だが残念なことに、その正義というものは個人の主観によるものが多く、生活歴や生まれてきた年代、読んできた本、その時の常識などで大きく左右される。結果、よくよく考えてみれば、あの時の正義って間違えてたよね~。みたいに流される場合がある。よく使われるのは「あの時はまだ幼かったんだ」と。
僕は自分の中に譲れない正義があったとしても、その正義の為に誰かを直接的にも間接的にも傷つけることは最も避けなければならない事だと思っている。そもそも、誰かを傷つけるための正義って、正義じゃないよね。
そう考えると、どんな正義なら戦えばよいのか?それは、個人や集団に対してではない。それが社会課題であったり、世の中の流れが悪しき方向に動いているという風潮だ。
罪を憎んで人を憎まず。ちょっと違うがそれに近い。
気をつけないと正義の名のもとに、悪行をしてしまう危険性があります。
あなたが正義を一番だと感じているようなら、あなたは誰かにとっての凶悪です。
熱いハート、そんな心があれば女の子は誰だってプリキュアになれるのよ
僕には4歳になる娘がいる。
彼女は3歳になってからアンパンマンを卒業した。それを感じたときはGEOに行った時のことだ。「好きなDVD選んでいいよ」と僕が彼女にいつものように選択するという行為を促した時の事。
彼女はおもむろにプリキュアを指さし「これがいい」と言った。
僕は彼女がアンパンマンから一段階段を上っていることを感じた。
それから、彼女はプリキュアシリーズで、悪と戦うことを学んでいる。正直なところ、正義の為に戦うという構図には否定気味なのだがそれはそれでしょうがない。彼女には大切なものを守るためには戦わなければならないという一つの心理を学んでいるのだ。
僕も彼女がプリキュアを見ていると同時にプリキュアを見る時がある。そして、幼児向け、しかも女子をターゲットにしたものを僕は正直下にみていた。「子供だましか」
そんな子供だましと決めつけていたプリキュアにハッとさせられる言葉がテレビから流れ、それは鋭利な刃のように胸に刺さる言葉がたまにある。
子供だましの内容に、その言葉が胸に刺さるとは。。。
その中の言葉の一つに
「熱いハート、そんな心があれば女の子は誰だってプリキュアになれるのよ」
という言葉があった。
映画のスペシャル版で、プリキュアではない映画だけに出てくる新キャラが、プリキュアオールスターズが敵に打ちのめされて「もうだめか」という時にプリキュアに覚醒し、形成を大逆転した。
その時に、上記の言葉で人間の可能性を語ったのだ。
ふー。この文章を書いてて自分の陳腐さに呆れてしまうのだが、こんな単純なありきたりな、いわゆるセオリー通りの内容が心を打つことがある。それって真理だからか?
いやいや、僕が言いたかったのは、これを地域福祉に置き換えてみる、ということだ。
「熱いハート、そんな心があれば私たちは誰だって未来の支え手になれるのよ」
うん。まさしくその通りだ。
熱いハート。気持ちがあれば、前向きな社会の担い手になれる。
ふふ。プリキュアを見ながら、また地域福祉のことを考えている。さて、娘の未来の為に、今日は地域住民のハートをグツグツと煮立てる方法を構築しよう。
子供でもわかることなのに、大人になるとわからなくなることってありますね。ハイ。