クラウド会計ソフトで税理士・公認会計士がいらなくなる時代は介護業界も同じ?
先日、クラウド会計ソフトのfreeeで確定申告を行ったという話をしました。
そこで、僕はfreeeを実際に使用して、最先端のITサービスの進化を実感した。
普通、会社の会計帳簿の記帳方法に疑問がある場合や、申告漏れが無いかといった、日常で業務を行う上で、ふと疑問に思う事があると思う。
そのようにふとした疑問というのは、解決しない場合、毎回目の前に立ちはだかる訳であり、いつかは絶対に解決しないといけないという事項だ。しかも、自分が知らないことを自分で調べるという行為については「もしも正解にたどり着かなかったら時間が無駄になるし」と及び腰になり、先延ばしにしてしまうのが人間に共通する一つの習性だと思う。
だが、もしも疑問に思ったことを、友達にLINEで連絡するように、気軽にチャットできるとしたらどうだろうか?
今までは、税務署や税理士に質問して、電話口から「こんなことも知らないの?」みたいな気のない返事をもらっていたが、パソコンで「この勘定科目は何になるの?」と聞いたら、20秒もしないで「そちらの勘定科目は消耗品費となります」とドストレートに返事が返ってくるような魔法のシステムがあればどう思いますか?
実は、そのシステムはfreeeに備わっています。
質問回数無制限のチャット機能。そして、インターネットバンキングやクレジットカードと自動同期して記帳してくれる会計ソフト付きで月に1,980円から利用ができる。
こりゃ、将来的に税理士さんや公認会計士さんはいらなくなるわ。と感じる。
こういう風にどんどんIT技術が進歩していることをほとんどの福祉業界の方は知らないと思う。
僕は、みなさんが行っている基本チェックリストは事業対象者もしくは要支援認定者がしていますよね?まだ要介護の状態ではない方々なので、ipadで音声に従ってタップ入力する時代になると思う。もしも、音声に従ってタップ入力ができない場合に、職員が対応し、介護保険の申請の必要性の判断という時代が来ると思う。
だって、基本チェックリストは、実施する者の裁量によって大きく変わると思いませんか?基本チェックリストの判断基準を明確に理解している職員の方が僕は少ないと思っている。
なので、機械で一律的に誰がしても同じ結果が出るアプリのようなものにするほうが、公平だと僕は思う。
そうなれば、職員の人件費も削減できるし、何より人不足の現状の解決になりえるかと思う。
たぶんこのまま、介護保険の認定調査員も資格要件が不要で、その代わりに、アプリを使うようになるんだろうな。と思っている。
確定申告とベルトコンベヤー式税務署対応
参った。とりあえず年末調整と確定申告の違いがわからなかったくらい無知だった。
とりあえず年末調整というのは、会社員勤めしている人の代わりに会社が税の申告手続きを行うやつです。そうそう、生命保険会社から年末にもらうはがきを添付するアレです。
ですが、私のように自営業になったら、1年に1回、すべての収入と支出をまとめて税務署に報告しなければなりません。それが確定申告になります。
あと、会社員でも年間の収益が20万円以上ある場合には、確定申告しないといけません。
そんな訳で、今年は確定申告を行わなければならなくなった訳で、領収証を月ごとにまとめて、昨年の収支をちまちまとパソコンに入力した訳ですね。
ただ単に入力をすればいいという訳ではなく、正しく正確に、入力をしなければならないというのがこの確定申告のハードルを限りなく上げており、売り上げが発生した日及び入金が確定した日を入力しなければならないし、数多くの勘定科目から選ばなければならない。
勤勉な私は一人でこの任務を終えることが困難と判断し、クラウド会計ソフトfreeeと契約をして、リアルタイムで返信が来るチャットを活用して約2日で確定申告の書類を作成し終えた。
ここからは、税務署に初めて確定申告の相談をしに行った時の話。
朝の8時半から開庁するのでその時間に税務署へ到着。すでに10名以上の列が出来上がっており、9時から相談業務対応開始。おやおや、相談開始前までの30分の間に相談事項の解説が。しかも笑顔で親切丁寧に説明してくれている。何だか今の確定申告に携わる職員は徹底的に市民からクレームが出ないように教育されているらしい。
そこで、相談コーナーへ。基本は立ちながら書類の仕分けを行い、必要ヶ所へ記入し自らパソコン入力を行うという流れ。僕の場合はすでに自宅でほとんどの事項は入力しデータがあったのだが、全く素人で領収証だけ持参してきた人はできないんじゃないかな~と感じましたね。
その訳は、にこやかに対応してくれるが、とても急いだ様子で対応してくれるスタッフが「とりあえず提出することを優先」にした感じで、わかる範囲で記入して、提出をとりあえずしましょう!みたいなベルトコンベヤーに載せられた荷物のように出口へ早くいくように誘導される感が半端なかったですね。
はい?一回目の相談の時に中途半端なままで提出させられそうな雰囲気だったんで、一度帰らせてもらって、再度入力内容を見直し、提出予定の源泉徴収票は全てデータ保存して、提出しました。
はい。また一歩世の中の仕組みに詳しくなれたという訳です。
コピー機が壊れた以上に壊れた接客を受けた。
3月3日。それは女の子の節句。
うちの娘にお祝いがてら何か食べたいものはない?と聞いたら「麺」との返答。
「ラーメン、ちゃんぽん、うどん、そばならどれがいい?」
「ラーメン」
よし。それなら食べログの佐世保ラーメンランキングナンバーワンの「○龍」に行こう!というウキウキするような会話から一日が始まった。
○龍の食べログは ↓
https://tabelog.com/nagasaki/A4202/A420201/42001217/
※2017年3月3日時点で、佐世保ラーメンランキングが姉妹店の「砦」に抜かされて2位になっていました。
役所関係の手続きが終わった後、お世話になっている先生の所を訪ねて色々と話をした際に、コピーが必要な書類があるものの、丁度、コピーの修理を業者が行なっており、どうしても出来ない状況に陥った。
業者に対応方法を聞くと、本社が徒歩5分のところにあるので、そちらまでデータを持参してもらえればコピーしますよ、という答えで、なにやら本社の人と電話で調整をしていた。
という訳で、春の陽気を感じながら私は先生と一緒に修理業者の本店へ。
受付は20代と見られる女性社員が2人。
「どうなさいましたか?」と言われたので、先生は「このデータをコピーしていただきたいのですが」
受付の女性は「はあ。」と気の無い返事で首を傾けながら、しょうがなくコピーする。
ちぐはぐな冷めた空気の中待つこと10分程度。コピーが完成した。
先生は「お金はお支払いした方がいいですか?」と聞くと、受付した店員は「う~ん。」と考えた結果、わからないのか「結構です」と答えた。
先生が最後に「当社でコピー機を修理していただいている間、コピーが出来ない状況だったので、対応方法を聞いたら、こちらの本社に行けばコピーをしてくれるということで、調整をして来たのですが、お聞きになられていますか?」と聞くと、
「あ、電話なら隣の者がしていたので私は知りません」という返答。
僕はすかさず、ずっと隣でやり取りを聞いていたであろう、もう一人の女子を見た。
すると。
「ウィッス」(あごを前に出すしぐさ)
そこで僕らはコピーをするというミッションを終了し、ビジネスに戻るのだった。
これって、意外と世の中で多いですよね。そういう接客を一度でもしたら信頼はガタ落ちになります。なので、もっとしっかりしようよ~!と言っても、所詮は他社で他人ですから変えようがありません。
なので、当社はそのような方々を反面教師として、同じような過ちは決してすることが無いように気をつけたいと思っています。
ウィッスってなんだよ。
あなたがいなくても回るシステムを作るためにあなたはいる
僕は25歳くらいの時に成功するにはどうすればいいのか自分なりに勉強した。
速読、セルフコントロール、瞑想、ヨガ、成功哲学、マーケティング。
なぜ勉強したのかというと理由はわからないと言いたいのだが、正直な所、現状に満足していなかったからだと思う。
その中で、特に覚えているのが「自分がいなくても回るシステムを作ることがリーダーの本当の役割だ!」ということだ。
その考えに初めて出会ったとき、僕はとても強くざらりと残る違和感を感じて数日間考えさせられた。
自分がいなくなっていいのなら、自分の価値がなくなるんじゃないか?
そういう風に思っていたが、一つの仕組みを完成させることができたら、その次の高み、すなわち新しい仕事を自動で回るシステムを作り、さらに効率化させてどんどん新たなものを作り上げていく。
どんどんクリエイト。どんどん効率化。
そういう考えが脳に芽生えだした瞬間から見える景色が変わった。
僕の周りにあるほとんどの物事は、基本的な思いつきのようなマニュアルはあるものの、実践的かつ効率性を最大限に高めたマニュアルは無かった。
今思えば、その当時あるマニュアルを定期的に年2回くらいバージョンを上げていけば3年くらいで完成するかと思うのだが、介護業界には、そこまで考える事がどちらかといえば悪徳と見られる風習があるのかもしれない。
目の前にある介護業務が最優先。その気持ちはわかるが、仕組み自体を最適化することこそが、利用者へ最高のサービスを提供できることに繋がるんじゃないかと思い、それからずっと僕は、僕なりに学び、仕組みを最効率化している。
そのシステムを公開してシェアする場合もあれば、疎まれるので、人数限定で共有してトライ&エラーを繰り返して良いノウハウを確立してきたと思う。
そうそう、ケアマネの試験に僕は1ヶ月の間、一日1~2時間くらいの勉強で合格したのだが、その勉強方法を体系化したものをこれまで10名ほど教えてきたが、彼らは遅くとも3年以内に合格している。
ちょっと話は逸れたが、あなたが目の前の業務にとてもやりがいを感じていて、常にその場にいたい!と自己重要感を感じているのなら、あえて、自分がいなくとも回る仕組みを作ることを考えることをおススメする。
きっと、作り終えたときに、新たなワクワクする道があなたの目の前に広がっているのだから。
悪意に走る人間の原因には2つあるらしい
悪意って向けられたことはありますか?
その質問について「いいえ」と答えられる人はとても少ないんじゃないかと思う。
僕は周りから見れば楽観的でどちらかといえば掴みにくい存在と言われている。そして頭がいいと追加して言われることが結構多い。
残念ながら僕は頭が良いわけではなく、福祉の知識と、ITの知識の2つを知っていて、それらを組み合わせているから、頭が良く見える訳であって、僕はこの2つの分野以外の物事については恐ろしいほど知らない。
まあ、それはそれで話を置いておいて、悪意について考えさせられる出来事が誰しも他人とのかかわりを一切切らない場合を除いて年に数回はあるんじゃないかと思う。
という訳で、今はテレビメディアへの出演が以前よりも少なくなっている江原啓之さんの「悪意/善意 たましいの素顔」に書かれていた、悪意に走る人間の2つの特徴についてお伝えしたいと思う。
悪意に走る人間は
1.弱さ:相手を羨ましいという気持ちを嫉妬という悪意に発展させてしまう
2.無知:羨ましいという気持ちを嫉妬ではなく向上心に変えられることを知らない無知
上記2つの原因があると書かれている。
これを見て「へぇ~」と思う人もいれば「むかつくものはむかつく」という人もいるだろう。
だが結果的に自分が行なった行動が返ってくるのが世の中。
自分の弱さや無知に立ち向かい、すがすがしく人生を生きていく事を選択することが大人のマナーだと思う。
提案書の書き方。これできないと社会人失格ですね。
自分の理想(ほとんどが社会常識上で正しいと思われていると自分が思っているもの)と現実が違う場合、あなたはどうしていますか?
例えば、接客業をしていたとして、業務が忙しいということで、客に挨拶をしなかったり、不機嫌な態度で接客をしている先輩がいるとする。
そんな彼に接客をされるお客様も迷惑だが、一緒に働く私達も同じような目で見られるし、何より職場の雰囲気が悪くなって困る。
そんな時に、あなたはどうしますか?
例えば、先輩もあなたも正社員だったとして、バイトの方の管理もしなければいけません。
この様な時には、提案書を書くことが一番だと思います。
残念な話ですが、私は福祉業界に長くいますが、提案書という形にして職場環境を改善させたい!という人間には会った事がほとんどありません。
何となく、不平不満(彼らの多くはニーズというが)を語り合う仲間を集め、陰湿に陰口を積み重ね、ますます職場環境が悪くなり、退職や配置転換といったところが多いのかな~と思います。
それんな不毛で非生産的なことをするくらいなら提案書として、現在の問題を明確にして具体的な解決策を示して、望まれる効果を文字にして書いて提案するほうがずっと良いと思いませんか?
<提案書の書き方>
1.問題点を書く
2.解決策を書く
3.解決策を実施した後に望まれる効果
はい。これだけです。
提案書を書くだけでも自分の頭の中がすっきりして、よい解決策が見つかったり、逆に自分自身の努力の足りなさを人に転化していたということもわかるようになります。
正直、これができないで不平不満を言っているのは社会人失格です。
あなたの思いを形にできる能力を手に入れる努力をしましょう。
地域包括支援センターの所長の肩書がなくなった結果
僕は32歳という比較的若い時期に地域包括支援センターの所長になった。
所長になった途端、これまで話をするときに足を組み腕を組み、上から目線で一方的に高圧的に話しかけていた人が、低頭平身になり、両手を「すりすり」する様に変貌するという奇跡を数件目撃した。
僕はそのように奇跡の変貌を遂げた彼(彼女)らを目撃し「人間は一瞬で変わる」という人間の現金さを学んだ。そして、僕はこのように、他人の目から見れば浅ましいと捉えられるような行為はしないようにしようと思った。
そして、僕は地域包括支援センターの所長を辞め、自分で事業を開始した。
そうすると、逆の行為をする人物が出てくるのかな、と思っていたが実際には1人位だった。それは僕が思っていたよりも少ない人物ではあったし、これまで関わってきた人たちは僕が思いもよらない言葉「応援しています」をかけてくれた。
その中でも、継続的に僕とかかわりを持ち、僕が事業を立ち上げた目的「再現性の高い地域づくりの教育コンテンツで日本の助け合い活動を加速させたい」に賛同し、背中を押してくれる方もいる。それは僕が思っているよりも実際は多いらしい。
そしてふと周りを見ると、未だに僕を信じて残ってくれている人というものは、僕の人生の宝だと思うし、何かあればできる限りの力になりたいと感じている。
肩書がなくなっても、仲間がいるというのは、それまでの関わり方が間違ってなかったのかな、と思う。
やっぱり、肩書よりも自分が世の中に何を提供し、仲間に何を提供できるのかという事が大切だと思う。
肩書にしがみついたり、執着したりしてはいけない。わかるかい?
僕は、この文章を君に伝えたいために書いているんだよ。自分に負けるなよ。